初期原爆調査を再検証  一部資料をアップしました

初期原爆調査を再検証  一部資料をアップしました

低線量被曝研究会


 現在、低線量被曝研究会では、原爆投下直後から60年以上にもわたる原爆調査に関する歴史に取り組んでいます。その一環として、2009年3月21日から24日にかけて、研究会メンバーで広島を(一部は長崎も)訪れました。そこでは史料調査とともに、原爆調査に関係のあった場所に赴き実際に見て回ることを通じて、文献資料だけではわからない、地理的なことを含めた感覚のようなものをメンバー間で共有し、さらにはその経験の共有が今後の研究会で行なう議論をよりいっそう活性化させることを期待してのことでした(市民研通信26,27号)。

笹本さんの遺志を継いで
 
 その後の定例勉強会では、この旅の経験を活かし、それぞれが見つけてきた関連資料を紹介しながら、調査を進めてきました。この調査のベースとなっているのは、メンバーの一人である笹本征男さんの書かれた『米軍占領下の原爆調査』(1995年、新幹舎)であり、特にその副題である「原爆加害国となった日本」という視点を強く意識してきました。日本政府は原爆被災直後から調査を行いましたが、それらは本当に被爆者のためになってきたのだろうかという問題です。笹本さんは、被害の調査は行われたが、ただ単に、日本の調査結果を米軍が接収したという見方だけではすまないのだと、原爆被害国家(日本)が、原爆加害国(米国)の軍隊が進駐しているその目前で、原爆という非人道的大量殺戮兵器の被害調査を実施しし、それを米軍が許しているということの「異常さの意味」を考えなければいけないと常に言われていました(笹本氏インタビュー)。

 すでにお伝えしているように、今年3月、その笹本さんの急逝という事態に直面し、私たち研究会のメンバーは大きな支柱を失い、ショックを隠すことはできません。けれども残された課題に少しずつ取り組むことで、笹本さんの遺志を継いでいきたいと考えています。
 
 現在私たちは、笹本さんが収集されていたものを含め、日本占領中の米軍内部の原爆調査にかかわる通信資料(GHQ/SCAP資料)、国立公文書館、外交史料館の資料の中から見つけ出した日本政府や陸海軍の指令、また原爆調査に直接関係した人々の著作や報道記事なども加え、大きく全体の流れを見ながら、個々の資料の意味を読み解き、まとめる作業を進めています。まだ研究途上ではありますが、米政府・軍が進めようとする原爆調査に、日本の政府、軍部、科学者らがどう関わりあっていったのか、この調査から見えてきたことは、笹本さんの論考を補強するものになっていると考えています。

年表とGHQ資料の訳をアップしました

 笹本さんへの追悼の意味もこめて、追って調査結果を発表する予定ですが、今回そこで使用した資料の一部(GHQ資料と年表)をアップすることにしました。年表は日米の対応を比較しながら当時の状況を俯瞰するのに有用です。すべてのGHQ文書を年表に書き込んではいませんが、2つの資料を併せてみることで、状況が一層見えてくるものと思います。なお、年表は現在も作業中のものであり、GHQ資料も仮訳の状態であるため、今後随時、追加や訂正が入ることもありますので、ご了解ください。

 なお、笹本さんはこれまでも原爆や日本の軍部に関わるいくつかのNHKの番組の制作に協力されましたが、今年の広島原爆を扱う8月6日午後10時放送予定のNHKスペシャル「封印された原爆報告書」(NHK広島放送局制作)にも協力され、その完成を心待ちにしておられました。それは私たちの調査内容とも関わるものであり、私たちも若干の協力を成しえたのではないかと思っています。ぜひ多くのみなさまに見ていただきたいと思います。

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このブログ記事について

このページは、上田昌文が2010年8月 2日 15:20に書いたブログ記事です。

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